ジャズについて語ること

前にも書いた話。

昭和の大物ジャズ評論家が「チック・コリアはバンドをまとめ上げているから素晴らしい。キース・ジャレットはメンバーがバラバラ、放任してるからいまいちだ」などと繰り返し書いていた。

ヒョーロン家ってのはすごいね。こんなでたらめというか冒涜的というか、ヒドイ文章書いて、しかも「先生」などと呼ばれて暮らしていける。

かの秋吉敏子が「ジャズマンとしてもピアニストとしても、チックよりキースの方がよほど上よ」とたしなめたが「オレがそう思うんだから仕方ない」と開き直ったという。

いい商売である。僕もヒョーロン家とか作家とかになって、好き勝手なこと書いて暮らしたいと思っていたが、その夢は叶わず今はシステムズエンジニアなどを生業としている。

今でも文章を書くことは好きだ。ブログやYoutubeでアウトプットできるのはありがたい。当然金にはならない。こんな文章が金になるものか。楽しいからいいのだ。

でも、こうして気楽に文章を書いていると、ヒョーロン家先生も大変だよなと思う。売り物となれば無責任に書き散らかすわけにもいくまい(いや、無責任に書き散らしてるのかも?)。

マイルズ・デイビスはジャズ評論家が大嫌いだったそうだ。そりゃそうだろう。フリジアンも7thも分からない、楽器も弾けないのに、ジャズについて何を分かったようなことを書いているのか。「それを言っちゃあおしめえよ」となる。楽器を弾けなくても音痴でもスケールが分からなくてもジャズを楽しみ、ジャズについて語る権利はある。

スケールが分かっても分からなくても、あんまり偉そうなことは言っちゃあいけないよな。それが結論。

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