あるべきアドリブとは仕込みなしでその場でどんどん演奏を生み出すものである、と言われればそれはそうかもしれないが、超一流のジャズのプレーヤーと言えども実際のところはそうでもないと思われる。あからさまな仕込みメロディは出ないまでもコード進行に反応する手癖は出るはずだし、スタジオ録音で何度か演奏してかっこいいフレーズを再利用することもあるだろう。どんな一流のプレーヤーでも文字通り「0からの即興演奏」でずっと通しているわけではない。
モーダルジャズは「コードに縛られない」という言い方があるけれど、コーダルなジャズ(普通のスタンダード)で、Gm7 C7 FM7 なんて進行見たら、ベテランプレーヤーなら半ダースも定型フレーズが思いつきそうだ。それがうっかり出てしまうのならそれは「コードに縛られた」演奏と言えなくもない。
もちろん、キースジャレット(トリオ)のように意識的に仕込みとか手癖を回避してアドリブに賭ける人もいるし、コルトレーンのように脳みそバグってんじゃないのかと思えるほどフレーズを吹きまくる人もいる(あれは仕込みとかどうとかを超えている)。山下洋輔などフリージャズも仕込みを意識的に拒否するスタイルじゃないかな。
当然ながら100%仕込みだよ!というジャズミュージシャンはいない(そんなのジャズじゃない)けど、何なら50%くらいは仕込みでした、というプレーヤーなら意外といるのかもしれない。
何が言いたいかというと、ヘロヘロとアドリブに挑戦していると、たまに「アドリブができるのは選ばれた天才のみであって、俺なんかアドリブを演奏する資格がないんじゃないか」などと思ってしまうんだけどそんなことはなくて、みんながみんなコルトレーンやらキース・ジャレットなわけもなし。仕込みとか手癖とか含めて冷や汗かきながらアドリブに挑戦したって全く問題ないのだ、と、結局は思い直すのである。