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吉田秀和といえば昔の日曜朝のNHK FM、あの仙人のようなかすれた声を思い出す。クラシックの名盤を渋い解説で紹介する番組である。いかにも地味で退屈そうでしょ?
その頃僕は高校生で、クラシックを聴いてもショパンくらいである。多様なクラシック音楽にじっくり聴き入るような落ち着いた子供ではなかった。それでも不思議と彼の番組は好きだった。日曜の10時頃だったかアンニュイな時間帯なのも良かったかもしれない。意識的に耳を傾ければ退屈することはなかった。コルトー、カザルス、ミケランジェリ、ホロヴィッツ etc…多くの名演奏家を教えてもらった。ありがたいことだ。
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僕は批評とか評論というものを好まない。
昔読んだ筒井康隆の影響があるかもしれない。彼は(一部の)批評家たちが、上から目線で作品にケチをつける癖に、実にテキトーで不勉強で、作品について何も分かっていないか下手をすれば作品を読んですらいない、と徹底的にこき下ろした時期があった。
村上春樹もダメな評論というのは「糞尿の詰まったボロい納屋のようなものだ」と喩えていた。(おそらくは筒井のように)評論にいちいち反応するのもいいこととは思わない、そんな納屋にどうであれ立ち向かうのは時間の無駄だから、と。
個人的にも、いささか辛辣ではあるが、「批評家」という存在を以下のように定義している。
彼(彼女)らは本当は「それ」(音楽、文学、絵画、スポーツetc)に取り組みたかったのだが、才能が全くないためにままならず、「それ」では何も生み出せなかった。しかし「それ」と関わることを諦めきれないため「批評」という形で未練たらしく言葉で関わっているのだ、と。
これほど辛辣な言い方をするのは、もちろん僕自身への反省があるからだ。話がずれるので詳しいことは書かないけれど。
実際、作品(作家)は時代を越えることがあっても評論(評論家)が越えることは極めて稀である。せいぜい当時の雰囲気を伝える2次資料だ。すなわち、読む値打ちがある評論は少ない。
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吉田秀和は「音楽評論家」である。
NHK FMで聞いた彼の話は面白く有益だった。とはいえ僕の厳しい「評論家」観からすると、今の時代に、本屋に彼の評論集が並んでいるのはちょっとした奇跡に思えた。しかも2019年刊である。今、彼の評論にどのくらいのパワーがあるのか。立ち読みして引き込まれた。しかも何度か読み返す価値がある。そう思って先日購入したのである。
(続く)