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難しいとされるピアノ曲(ラ・カンパネラ、ショパンのエチュード、後期ベートーベンのソナタ等々)であっても、ひたすら時間をかけて良質な練習(と言っても「ゆっくり弾く」だけ)をすれば誰でも弾ける。誰でもは大袈裟か。最低限の適性、音楽を楽しめる能力さえあれば弾ける。大人から始めても弾ける。一般に「小さい頃から楽器をやらないと難曲を弾くのは無理だ」と思われているが、間違いである。数千、数万時間の反復練習を遂行できる大人が限られるだけである。
もちろんノーミス演奏、超速演奏ともなれば小さい頃から練習しないと厳しい。しかしそれは子供から始めると、結局大人から始めるよりも積み重ねた練習時間が多くなるから、というのが主な理由ではないかと思われる。家庭やら仕事のことを考えなくてもいから、大人よりも無心に練習できるという理由もあろう。
結局「若干10歳の少女(少年)が難曲を弾いた!」というのは「最年少で司法試験に受かりました!」みたいなもので、要するにちょっとした適性があって長時間かけて勉強・練習しただけの話である。
「その気になればショパンのエチュード全部弾けまっせ」という人が毎年毎年何千人も出てくる。実はさほど特殊なことではない。その辺の人をいくら練習させても150km/hのストレートを投げられるようにはならない。でもしっかり練習させればラ・カンパネラが弾けるようになる可能性はかなり高い。
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そういうものだ、と腹に落ちつつある。
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するとピアノの曲が違って聴こえてくる。
クラシックはもう新しい解釈を聴こうと思わなくなった。ノーミス演奏を実現するための長時間練習の成果である。だったらホロヴィッツ、グールド、ポリーニで十分。他はグルダ、ブレンデル、ミケランジェリで補足する。ホロヴィッツの必ずしもノーミス演奏にこだわらない演奏が好ましい。他の人たちからも「ノーミス演奏はついで」みたいな印象がある。それ以降の演奏家からは「ノーミス演奏は絶対」強迫観念を感じてしまう。ミケランジェリは軍役に行った。何年もピアノに触れなかった期間があったろう。今はどうか。強迫的に反復練習しているピアニストばかりではないのか?聴こえてくるのは「長時間練習の成果」である。投入された時間である。もっともこれは、極めて主観的で、少ない経験から引き出したあやふやな感想である。
ジャズ。超速アドリブww、完成されたアドリブwwを聴くといっぺんに冷める。これも長時間練習の成果である。手癖である。誰?どの演奏?現役の演奏家は名前は出さない。これまでそれとなく書いているがオスカー・ピーターソンには全く魅力を感じない。自分であれだけ弾ければ楽しかろう。とも思わなくなった。手癖じゃ手癖じゃ。
ビル・エヴァンスの評価が変わってしまった。練習マニアである。テンションオタクである。クリエイティビティというよりマニアック性を感じる。ノってない演奏はかなり投げやりである。歌心を一切感じない。パワーも感じない。ジャストタイムで無機的に練習の成果を繰り出している。彼の名盤「ワルツ・フォー・デビー」がその場の観衆に無視されているのが皮肉でもあり、当然でもある。圧がないのだ。その一瞬を切り裂くアドリブではなく、作り込んだメロディライン、長時間練習の成果だからだ。悪くはないアルバムだ。でも緊張感のある一級のアドリブはここにない。
幸いなるかな。キースジャレットの評価は変わらない。やはりキースはすごい。時折聞き返して、改めて、繰り返し「キースは別格」と思う。
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楽器を長時間練習してきて世界は変わった。どちらかというと無味乾燥な方面に変わった。失われたものがあった。しかし、変わった世界の方がリアルであり、真実に近いだろう。だったら仕方ないじゃないか。
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