
ハンマークラヴィーアである。超難曲である。そして傑作とされる。

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普段、僕は難しい曲であっても、時間(とピアノが好きというささやかな心理的傾向)さえあれば誰でも弾けるようになると主張しているけれど「これはさすがに無理やね」と思う曲もある。ベートーベンに限らず、ソナタなど長時間の大作は大人から始めて弾けるもんじゃない。音の数が多すぎるし、時間が長すぎる。

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ハンマークラヴィーアソナタも大人になってから全曲演奏するのはほぼ不可能だろう。3、40年間ひたすらこの曲を練習し続ければなんとかなるかもしれないが、ほとんど人間業ではない。
聞き通すのも大変である。おお!凄い!これぞモノラルのシンフォニーだ!と感動するのは第一楽章の最初の数分。あとは「今日の晩飯何にしようか・・・」とか「来週の仕事、そろそろ準備しないとな・・・」などと別のことを考え始める。
また第三楽章が退屈なのである。ピアニシモを強調して小さい音で演奏されることが多いが、そうされるともう耳に入ってこない。次第に意識が音楽から離れてしまう。圧巻の第四楽章も他の考え事に囚われて「なんだかうるさいな」である。

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超一流の演奏家にとっても難しいようで、アシュケナージですらミスタッチを回避しよう的な意識で慎重に演奏している。コンサートで演奏するだけですごいということだろう。(埋め込み不可動画なのでYoutubeでどうぞ)
グルダのテクニックは圧倒的ではある。しかしこのソナタに関してはどこか機械的である。ベートーベンらしい暑苦しさとメカニックさが微妙に調和しなくて、演奏としては凄いのだろうが、聞き通すのが辛い。
ポリーニは流石のポリーニである。テクニックと情念のバランスが取れている。正統派の解釈でベートーベンらしい鬱陶しさが存分に出るため僕は好まない。完全に個的趣味の問題である。演奏としては絶品だ。
ブレンデルの演奏はドライで端正だ。ブレンデルらしい。ベートーベンらしさは薄いが、ハンマークラヴィーアソナタの解釈としては意外と正解かもしれない。ソナタの全体像が見えやすい。優れた演奏の一つである。
しかし、やはり僕がいいと思うのはグレングールドである。
この人はモーツァルトをギスギス弾いたりベートーベンの「熱情」をゆっくり弾いたり、何かの冗談か?恨みでもあるのか?という演奏をすることがある。ハンマークラヴィーアも例外ではなく、通常の1.5倍程度の遅さで弾いている。もちろん、技術的に問題があってではなく、わざとである。比較的遅いとはいえリズムは終始ジャストで一つ一つの音が歌っている。凄まじい技術である。
そしてハンマークラヴィーアに限っていえば「あれ?このスピードが正しいんじゃね?」と感じてくるから不思議だ。おそらくベートーベンはこの曲をモノクロのシンフォニーとして作った。強いダイナミクスと、多彩な奏法を取り入れた壮大な作品である。だがこの曲を「ピアノ交響曲」として壮大に演奏しようとすると、どうしても無理が出てくる。ピアノの限界にぶち当たるといってもよい。ピアノはピアノであって交響楽団ではない。
グールドの演奏ははなから「ピアノ交響曲」など志向しない。ピアノという楽器に寄り添いながら演奏すること、鍵盤を通じてハンマーで弦を、ひとつひとつ叩くことによって、結果的にハンマークラヴィーアを「ピアノ曲」として再構築しているのだ。
それは退屈な第三楽章の扱いに現れる。他の奏者がどうにかして退屈さから逃れよう苦闘しているのに、グールドはそんなことはお構いなし、どっぷり・しっとり・ねっとりと第三楽章を演奏する。結果、退屈は退屈だが、心地の良い自然な退屈さに浸ることができる。
ハンマークラヴィーアは正統派ではないグールドが突出している気がする。それは、この曲に無理があるからだろう。知らんけど。