ホロヴィッツの技術はどうなのか

吉田秀和によって超絶技巧などと評されたわけだが、注意して聞いてみるとはっきり言って雑である。

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装飾音など潰れていることも多い。粒も揃っていない。

だから駄目、というわけではなく(もちろん)、技術的な正確さよりもノリや勢い、音色を重視しているホロヴィッツの演奏は、ノーミス演奏のオブセッションに小突かれ、こぢんまりとまとまった凡百の演奏にはない迫力がある。悪魔的・デモーニッシュと評される所以だ。おそらく現代では許されない演奏であろう。ホロヴィッツの醍醐味である。ある意味ではロストテクノロジーである。

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メトロノームと同じテンポで弾いてもグルーヴは出ない。楽譜通りコンピューターに演奏させても感動は生まれない。

行き過ぎた正確性は、音楽の芸術性を奪ってしまう。

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という考えに基づけば、正確なタッチやテンポが二の次になる。練習でもそうなるだろう。雑な練習が増えるだろう。

彼の晩年の衰えの一つの要因ではないかと勝手に想像してしまう。

正確な練習を何年も続けるにも、かなりの適性と才能が必要なのだ。

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まずは正確な演奏が大前提。芸術性はそこからだ。というオブセッションから始まるピアニスト(99.9%のクラシックピアニスト)は、晩年もそこまでミスタッチしない。晩年のホロヴィッツはとてもプロの演奏家とは言えないレベルの演奏もあった。吉田秀和は「ヒビだらけの骨董品」と辛辣に評した。

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ピアノを毎日練習しているとたまに「もう駄目だ。もう面倒くさい。上手くならない。つまらん。誰からも褒めてもらえない」と本当に嫌になっちまうことがある。少なくとも数年に一度は。

子供のときに習って続かなかったわけだ。多分小さい僕も同じことを考えたに違いない。そしてあっさり投げ出したに違いない。

そして思う。世のピアニストは、毎日毎日何時間も、よく練習できるな、と。しかも幼少期から大人になるまで、ずっと。

信じられない。一体どういう人達なのか。彼らに羨望や畏怖を抱くとともに、何となくホロヴィッツに対しては親近感がわくのである。

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