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Spotifyである。Spotifyってどうなんですかね。消費者にとってはこれほど便利なものはない。好きなときに好きなCDを聞ける。なんてこったい。ジャズ、クラシックメインであれば有り余るほどである。アーティストにとってはSpotifyは儲からないプラットフォームのはずだ。Spotifyで配信しつつ、コンサートやグッズ、レコードで稼いでいるのだろうか。聴いていて少し後ろめたい。
昔は(嗚呼!)テレビ、ラジオで音楽を聴いて、気に入ったらレコードやCDを買った。その金額はばかにならない。中学生の小遣いでは年に数枚しか買えない。NHK FMのジャズ番組をテープに録音して聴いたものだ。聞き逃して悔しがることもあった。今は月額千円で好きなだけ聴ける。中学生にとっては高いが小遣いの範囲だろう。親と交渉する余地もある(サブスク代ちょっと出して!友だちもみんな聴いてるし!)。時代は変わったのである。
(サブスクでも年間1万以上かかるから払う金額自体は昔とそこまで変わらないのかもしれないが、サブスクはいくらでも聴けてしまうのが異様なのだ(年寄りの感覚))
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さて、日本の新しいジャズ。
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昔々。
穐吉敏子のヒーローはバド・パウエルであった。ナベサダのヒーローはチャーリー・パーカー、山下洋輔はセシル・テイラーであった。
穐吉敏子もナベサダもアメリカに渡ってジャズを勉強した。ナベサダは日本に戻って後輩にジャズ理論を教えた。ジャズはアメリカのもので、ヒーローたちもアメリカにいた。
当然彼・彼女たちの演奏はヒーローの模倣となり、同時にヒーローとの戦いとなる。日本人に限った話ではない。「劣化チャーリー・パーカーやんけ」と揶揄されたアルトサックスプレーヤーは数しれず。アルトプレーヤーの多くは何らかの形でパーカーと対峙し、あの巨大な山を乗り越えなければならなかった。
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徐々にヒーローとの呪縛から離れ、彼・彼女らの自身のスタイルを身につけていくわけだ。
それでも、ジャズを血肉化した彼らの演奏からヒーローの影を感じることがある。吸収化されたヒーローである。日本人ジャズにも、かつてのヒーローが養分として含まれているのだ。
ところが、ですね。
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もっと若い世代の日本人のジャズを聞いてみると、僕の知ってるヒーローが見えないのである。マイルズ、コルトレーン、ビル・エヴァンス、キース、影も形も?ない。少しは含まれてるのかもしれないが、明瞭に聞き取れるものではない。
もちろんそうではなくて、かつてのジャズ・ジャイアンツを目標に(あるいはライバル視して)”ジャズ”を頑張ってるプレーヤーもいるし、むしろ一般に有名なのはそっちの方かもしれない。今僕が対象としているのは”ジャズ”扱いされてないプレーヤーなのかもしれない。
ヒーローも世代交代したのか。今の若い人のヒーローは、ロバート・グラスパーやカマシ・ワシントン、クリスチャン・マクブライドなのか。と思って聴いてみても何か違う。
なんと、若い人のジャズから僕が聴き取れるのは、JPOPなのである。リズムから感じるのは盆踊りであったりお祭りのお囃子リズムである(伝わるかなあ)。これはもうジャズではない。J-ジャズだ。JPOPであり、シティ・ポップであり、ボカロ曲であり、ひょっとしたらアニソンすら混ざっている。あの”ジャズ”は随分と薄まってしまった。
穐吉敏子、ナベサダから半世紀、日本のジャズはこうなるんだ!なるほど!!
昔の日本のシティ・ポップが海外で受けているとかなんとかいう話があった。最近の話である(現在進行系かもしれない)。以前からJPOPには一定の海外のファンがいたらしい。やっぱり日本人のポップスには独特のものがあるのだろう。
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僕なんかは昔のシティ・ポップを聴くと何となく恥ずかしくなって止めてしまう。うわあ!80’s(あるいはバブル時代)のJPOPだ!とすぐに分かる。逆にいえばそれだけ特徴があることになるし、それがたまらん、という人もいるはずである。外国の人からすれば都会的な異国情緒があるのだろう。
昔のJPOPは苦手だが、J-ジャズは正直かっこいい。クールである。これから海外でもウケていくんじゃないかと期待しているのである。