写真はアートか?ジャズはどうだ?

昔から写真を撮るたびに「果たして僕が量産するへっぽこ写真、これはアートなのか?」という疑問があった。

今、「アートとは?」とグーグル先生に聞いてみたらややこしそうな議論が出てきたので完全に無視する。アートじゃなくて、何というか、クリエイティブというかな。僕が気にするのは絞りとホワイトバランスと構図だけで、他はほぼカメラ任せでボタンをポチるだけ。これを「僕の創作物」と言っていいのか?という疑問だ。

最近になって少し自分なりに腑に落ちた。

やっぱり写真を生み出すことは、どうしたってクリエイティブな行為なのだ。

自分の(基本的にイケてない)写真を眺めたり、写真ブログで割とイケてる写真を眺めたりしていると、そこにあるのはカメラが撮った写真ではなく人が撮った写真なのである。撮った人のまなざしと、意志を感じることができる。

技術的にはどんなに簡単でも(例えボタンを押すだけであっても)、ありがちな写真であっても(例えばこのビールの写真など凡庸の極みだ)、その凡庸な写真を撮影した僕の油断が見えるし、水平を取っているところからはそれほど酔っていないことも分かる(最初の一杯。雑談しながら撮影した。まだシラフだ)。

で、ジャズですよ。

ジャズはどう考えてもクリエイティブだよね?と思っていた。

しかし。カメラほど簡単ではないけれど(当たり前だ)、テクニックだけでアドリブ取ろうと思えば取れるわけだ。アベイラブルスケール上下するんだよね?だったら人工知能だってアドリブできるでしょ?という話だ。

しかし、しかし。人工知能がタッチの揺らぎまで再現できたとしても、「ビル・エヴァンス風」とか「ミシェル・ペトルチアーニ風」とか、過去の神々のスタイルすら真似できたとしても、やっぱりそこにはハートがないんじゃないかと思う。

逆に言えば、下手なジャズピアノでもそこに人間を感じることができれば、それはやっぱりクリエイティブなアウトプットなのだ。

アベイラブルスケール上下するのだって言うほど簡単じゃないしね。ジャズピアノはやはりクリエィティブな行為ということで間違いない。と、当たり前の結論に戻って終了。

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