見よう見まねでよろよろ独学ジャズピアノやってると、それでも何となくアドリブが分かってくる。「ろくに弾けないくせにアドリブが分かっただと?よくいうよね」。すみません。でもまあ、正直いって本当の話である。あくまで僕の中での理解だ。アドリブを「やろう」とか「できる」とすら思わなかった時代と比べると、ヨレヨレしながらアドリブを弾いてYoutubeにアップして冷や汗をかいている今の方が、アドリブについて理解が深まった。これは事実である。
まずジャズミュージシャンが流暢に演奏している箇所。ジャストテンポでかっこいいフレーズが出てくる。これはもう9割型ストックフレーズじゃないかと思えてきた。もちろん「だからダメだ」などというつもりはない。例えばチャーリーパーカーのいつものフレーズ。ビル・エバンスのスタジオ録音のアドリブ 1コーラス目。キース・ジャレットのソロピアノの最初の部分。文句のつけようがない。素晴らしいじゃないですか。
やってみると分かる。手っ取り早いのだ。厳密な意味での「即興」ではない。練習し、馴染んだフレーズを出すだけだ。リズムにも乗りやすいし、ロストもしにくい。「アドリブの練習とは手持ちフレーズの拡充である」という「アドリブ学習法」は合理的と言えなくはない。でも副作用がある。僕のように楽器が上手くないと仕込みに時間がかかり過ぎて実用的じゃない。それから才能のない人の仕込み演奏はシンプルに退屈である。
次に極端なのが、全く流暢ではなく、若干リズムにも乗れておらず、音もちょっとハズレがちな演奏。戸惑いすら感じられる。これはもう間違いなくアドリブである。ジャズの醍醐味である。誰の演奏であれライブ版の2、3コーラス目以降が多い。デクスター・ゴードン。スタン・ゲッツ。後期のキース・ジャレットトリオ。こういうのを聴くと少し安心する。やっぱり彼らも人間だったのか、ってね。
アドリブには両端に「フレーズ仕込み」から「出たとこ勝負の完全即興」があって、無限の中間層(仕込みっぽいけど完全即興、完全即興っぽい仕込みetc…)がある。臆することはない。色々やってみれば良いのだ。