こんな話を聞いたことがある。
作曲家がもっとも恐れるのは、自分からの盗作だ、と。
苦労して生み出した(と思った)メロディが、昔自分が作曲したものと同じだったりよく似てたりして冷や汗をかくことがあるらしい。ありそうな話である。
思ったのは「メロディはそこまで血肉化するものなんだな」ということ。確かに小さい頃聞いたアニソンのメロディは一生忘れないだろう。どんなに注意していても無意識に出てしまうのだ。
ジャズのストックフレーズだって、無意識に出てくるほどじゃないとダメなんじゃないかと思う。楽譜を見て2週間ほど練習した上っ面メロディなんか、どう弾いたってアドリブには聴こえない。経験談だ。
先々月にYoutubeを投稿してから「アベスケ当てゲーム」としてのアドリブは卒業して、ストックフレーズに取り組んでみようと練習しているのだが、これが一筋縄じゃいかない。初心者がフレーズコピーしてアドリブしようったって、せいぜいがお子様の発表会である。なんならアベスケ当てゲームの方が全然マシだ。とまあ、これはジャズピアノ練習し始めて最初に感じたことと同じ。
一方で少し光明も見えてきている。キーワードはメロディの血肉化である。空で歌えること。空で弾けること。その場でアレンジができること。あたかも自分のメロディであるかのように表現できること。ここまでメロディを身につければようやくアドリブ用のフレーズを「ストック」できたと言えるんじゃないか。むしろそうなったら他人から借りたメロディを「ストックした」とかじゃなくて、完全に自分のものにしたと言えるんじゃないか。ジャズのアドリブ練習として定型フレーズを反復練習するなら、「ストック」を超えて、文字通りそのメロディを自分のものにする必要がある、そんなふうに考えている。