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ピアノを毎日練習しながら、心のどこかで人前で難しくて華麗な演奏を披露して拍手喝采されたい、綺麗なメロディを弾いて感動させたい、などとどこかで夢見ている。
いわゆる承認欲求であり、人としては普通の欲望である。何も問題ない。練習するモチベーションになるのなら結果オーライ、むしろ歓迎すべきとも言える。
その承認欲求がどうも弱くなってきた。
人前で披露するのが面倒臭い。イヤらしいことにすら思える。
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ここに名前を出すのも恐縮だが、グールドもコンサートを嫌いだと公言していた。そればかりか、コンサートで弾くことを一切拒否した。ホロヴィッツもコンサートで辛そうにすることがしばしばあった。もちろんそういう演奏家ばかりではなく、ルビンシュタインは人前でのびのびと楽しく弾いたそうだが。
彼ら大演奏家の気持ちは完全には分からないけれど、勝手に共感してしまうのである。
承認欲求がなくなってくると確実に練習のモチベーションが下がる。ひたすらストイックに練習するばかりだ。もちろん調子がいいと一人で楽しく弾けることはある。しかし「何くそ!人前で上手く弾いてやるぞ!」という負けじ魂がなくなってしまった。そもそもピアノに負けじ魂が必要なのか?不純な感情ではないのか?それもそうだな。だったらストイックに練習するのが正解かもしれない。ストイックな練習はそれが正解だとしてもモチベーションの維持が大変だ。やっぱり、ピアノが上達するためには適度な承認欲求が必要なのだろう。ピアノ演奏は一見孤独で崇高な趣味に見えるが、実際には承認欲求に支えられているということか。残念なような当然なような、そんな気がする。
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