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モーツァルトは天才だ。これに反論できる人はいないだろう。
でも、お金を出してまで聴き込もうとまではならない人も多いのではないか。もちろんモーツァルトマニアは世間に五万といるだろうし、そんな人たちは「モーツァルトを聴き込まないなんて人生損してる」と思ってるかもしれないが。
僕の場合、ジャズかピアノに関わる曲を優先して聴いている。そうなるとモーツァルトを選ぶ機会がどうしても少なくなる。
バッハはスケールやベースラインの勉強になる。ピアニスティックな表現はベートーベンから始まる。ショパン以降のピアノ曲は実に素晴らしい。それらと比べるとモーツァルトのピアノ曲はイディオム単位でみるとフレーズも進行もシンプルである。
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そもそも「古典派」の音楽のイディオムは、バッハの大衆受けする部分をつまみ食いしたようなもので、目新しいものはない。スケールをそのまま使ったようなシンプルなメロディ。ドミソ、ドファラのトライアド。リズムにも新しい要素はない。バッハのサブセットである。
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にも関わらずモーツァルトは、神の如きバッハ、古典派を突き抜けたベートーベン、ピアノの性能を極限まで引き出したショパンに並ぶ、いやひょっとしたらそれを超えるといっても過言ではない天才作曲家でありえた。すごい話なのである。
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昔聞いたモーツァルトとショパンの比較を覚えている。正確ではないが確か
ショパンの曲には美しい悲しみが漂っていてその奥に潜む苦悩もまた深い。モーツァルトの曲はひたすら美しくて軽やかなのだがやはりその奥には深い苦悩が潜んでいる。
(俺?
といった文章だと思う。上手いこと言うものだ。いっそ僕のセリフにしてしまおうか。それで構わない気がしてきた。(あっさり吉田秀和あたりのソースが出てきたりして
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とにかく、最近はモーツァルト漬けの日々である。作業BGM、睡眠導入どちらにもピッタリ。ちゃんと曲に集中すると脳の奥のコリがほぐれ、リラックスできる。最高じゃないか。モーツァルト本当に天才だ。
そして僕の推しはやはりグールドである。これについてはまた今度。