この動画の後半はアドリブ的な打ち込みである。
クロマチック(半音)スケールが多いように感じる。今度は意識してペンタを使ってみようか。
何度も書いているが、僕はいわば「アドリブ原理主義」である。アイデアの源泉垂れ流し状態こそが至高。仕込み・ストックフレーズは一段下とみなす。カッコいいスムースな速弾きフレーズは興覚めだ。
ピアノは難しい楽器である。叩けば音がでるじゃないか。それはその通りだが、ジャストタイムかつ強度の粒を揃えて弾くのは非常に難しい。ましてや両手を使うとなるとかなりの訓練が必要だ。世のピアニストたちが幼少期から厳しく練習してきたテクニシャンばかりなのは必然だ。そんなピアニストたちがアドリブをするものだから、スケール・アルペジオの手癖全開速弾き&仕込みアドリブは実に多い。もちろん、手癖だろうが仕込みだろうが聞かせればいいので、実際僕もエディ・ヒギンズは嫌いじゃなかったりする。よい曲だと思えば「アドリブ原理主義」はあっさり取り下げて素直に楽しむ。そんなものは単なる理念に過ぎない。「純粋なアドリブ」など存在しないのである。
話がずれた。「アドリブ原理主義」の問題は、アドリブの練習ができない、という点である。アドリブの練習をするたびに「オレが今やっているのは仕込みではないのか?」と良心の呵責を覚える。面倒な話である。練習をするならアドリブ原理主義は捨てなければならない。打ち込みもそうだ。アドリブを打ち込んで、微調整する。何なら途中から打ち込み直す。完全に作り込んでいて、アドリブどころではない。
しかしこれが勉強になるのだ。何度もメロディを作っては壊し、切ったりつなげたりしてワンコーラスを仕上げる。そのプロセスの中で8小節感覚と、コード進行、アベイラブルスケールを学習することができる。反復しながら練り上げるメロディも素材として覚えることができる。DTMの打ち込みは、意外と有効なアドリブの学習方法なのだ。