“ワクワク”をどう続けるか

若い頃はふとしたきっかけでギューンとテンションが上がってワクワクしたものだが、40を超えてからはあの心の昂りは戻ってこない。物欲が消えはじめるのも同じだ。ミドルエイジクライシスというやつかもしれない。

結婚しないで40を超えるのはヤバいとか、いやヤバくない、とかたまにネットで盛り上がるが、個人的には「独身のまま40超えるとヤバい」派である。僕が結婚していないまま40を超えていたとしたら、うつ病になるか酒だか浪費だかの中毒になって、身体的、精神的、金銭的に荒んだ生活を送ることになっただろう。結婚して子供がいて本当に助かった。大変なことも色々あったが、それも含めて大事な思い出である。今後の人生の尽きない燃料となってくれるだろう。

独身で40超えて大丈夫な人を想像するのは難しい。何か圧倒的な才能や資産があり、かつ人格的に安定していて、良質の人間関係が豊かかつ安定している人だろうか。あるいは童話の世界の世捨て人のように全く孤独を苦にしない人だろうか。SNSと繋がったまま独身で40を超えて、健全な精神を維持するのはほとんど不可能に思える。

なんだか切ない話になってきたのは、イマイチ腹の具合が良くないからだ。今日はカメラ散歩に行く予定だった。雨の予報だが、ちょっとした雨ならむしろ良い写真が撮れる。人通りも減るはずだ。昨日の夜まではそこそこ(アラフィフなりに地味に)ワクワクしていたのにどうも腹が下り気味で外に出る勇気が出ない。仕方がないのでネットでカメラを探している。中古も新品もどれも高すぎてテンションが下がる。市場を維持するためにはこの価格が必要なのだろう。仕方ないのだ。買って支えなければならないのことは分かっているがそれにしても高い。困ったものだ。

“ワクワク”の話だ。(ゲシュタルト崩壊してきた

大人になってからなので遅ればせながら、それなりの期間ピアノを練習してきた。ピアノを演奏することに”ワクワク”するかというと、ほとんどしない。家で一人弾いていても誰も褒めてはくれない。家族からはむしろ「うるさい」と言われる。かといってストリートピアノで拍手喝采を受けるレベルでもない。前より仕上がってきた、昨日より下手になったかも、と一人でぶつぶつ思いながら必死で練習を継続するだけだ。

厄介なことに自分でピアノを弾いているとどんどんプロの演奏家のアラが目につくようになってくる。好きな演奏家が減ってくる。当然、新しい演奏家を探そうなどとは思わなくなる。安心して聴けるのはグールドだけだ。やれやれ、である。ちなみに坂本龍一は逝去をきっかけに聴き始めて、かなり気に入っている。ご本人も「自分のピアノは全然ダメだ」とおっしゃっていた。僕も技術的には一級ではないと思うが、味があって良いピアノだ。

カメラは好きだが、大してワクワクはしない。カメラを理由に出かけようと思っても腰は重い。

幸い、今のところDTMにはそれなりにワクワクして取り組めている。やはり自分で何かを作り上げるのは楽しいようだ。

ここまで書いて、ふと気がついてしまった。

「おっさんが何かやっても誰も褒めてくれない」

これが冷徹な現実だ、ということに。(むしろ冷笑されドン引きされるまである

おっさんで褒められる人は、ほんの一握り。神や超人レベルの人である。褒められなくても、勝手にワクワクできる、おっさんにはそんな趣味が必要だ、というのが結論である。

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