ジャズを勉強し始めて

ジャズの聴き方が変わったか?という話。

例えばシンプルなソロならある程度音符が聞き取れるようになってきた。

よく知った曲ならコード進行も分かる。Cm7 – F7 – Bb^7 – Eb^7 ね(ちな「枯葉」)。1コーラス目。うーんフレーズが整い過ぎて仕込みっぽいな。3コーラス目でハッチャけて来て、うん悪くない。ここでソロチェンジ。とかね。

ミュージシャンの意図も昔よりも理解できると思う。

さすがにベース音は聞き取れないし(大音量で聞いてもキツイかな)、それなりに集中しないとあっさりロストするけど。

より技術的に理解が進んだら、より曲の素晴らしさがわかるかというと、そういうわけでもないようだ。

音楽がビシバシと体に染み込んでくるのは小学生から中学生あたりがピークで、せいぜい大学生まで。大人になってしまうと音楽の感動がどんどん薄れる。小学生の夏休みにNHK朝のバロック(バッハのチェンバロ曲?)を聴いて「天国って本当にあるんじゃないか?」と陶酔した記憶が残っているのは僕の財産である。ジャズも同じだ。小中学生の時に聞いた感動はなかなか再現しない。

少し技術的に聴けるようになると、好きなアーティストが好きな理由や、苦手なアーティストが苦手な理由が分かる。

例えば僕がキース・ジャレットが好きな理由は、その圧倒的な技術と音楽的才能である。技術的なことが分かると、借り物の言葉が必要ない。そしてキースがかつての古いヒョーロン家や”ジャズ愛好家”から嫌われたことも分かる。そして、改めて「キースってすげー」と思う。

特にトリオのキースね。瞬間の芸術的爆発に賭ける演奏は実にスリリングだ。(大袈裟な言葉を使うと借り物っぽくなるねww)

じゃあ、技術的なことを知らないのに勝手なことを語る”ジャズ愛好家”や”ヒョーロン家”がダメかと言えばそういうこともなくて、意外と「うまいこと言ってんじゃねーか」と思うことが多い。何の根拠もないとされる印象批評だけど、ジャズを語るボキャブラリが増えるんなら悪くないだろう。

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