
ジャズを自分で演奏するようになって、ジャズの聴き方が変わった話。
ビシビシとジャズが身に沁みて聴けたのは小、中学生くらいまでかな。
ジャズだけじゃないな。バッハやそれこそアニソンまで夢中になって聴いたものだ。音楽を聴いて涙が出るとか我を忘れる感覚はその頃が最後かもしれない。
高校生くらいになると音楽にそこまで圧倒されなくなる。夢中にはなるけどね。大学生までは古いロックが好きだった。ビートルズ、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、クラプトンあたりかな。僕の大学生時代は20数年まえ。当時としても古い選曲だ。
ジャズを自分で演奏し始めて最近はジャズ一本だ。Walkmanに1,000曲前後入れて聴いている。ジャズといっても広いからね。スイングライクな曲、ビバップ、ハードバップ、クール、ファンク、バラード、ヨーロピアンなクラシック系。頭脳仕事に最適なBGMあり。家事仕事に最適なBGMあり。睡眠のお供によし。散歩しながら聴くのもよし。
ただ、ジャズ演奏してるとうっかり分析的に聴いてしまうんだよね。
例えばドビュッシー。いきなりジャズじゃないけど。
以前なら無国籍風ヨーロッパの高原のイメージ。林に亜麻色の髪の少女が散歩している情景を思い浮かべなら心地よく聴いたけれど、今は「ふむふむ。Ebm7の下降アルペジオから入るのか。EbdimにパッシングしてGbメジャーに着地ね。シンプルだけど美しいね」などと聴いている。
こんな聞き方して楽しいかというと、あまり楽しくない。
どんどん勝手にイメージを膨らませて聴く方が断然楽しい。どうせジャズの楽しさなんて知らない人に話しても伝わらないんだから。好き勝手に思い入れて聴くのが正解だ。
ジャズ評論家の人たちは結構乱暴なことを好き勝手言っていて、僕から見ても「エラく偏った見方だな」と呆れることもある。何度か書いてるけど「ビル・エヴァンスと言えばリリシズム」という評価。ろくに聴いてないくせに語るなと言いたくなる。
などとジャズプレイヤーが「評論家連中は何も分かっちゃいない」と嘆くのに同感することもありつつ、やっぱり音楽って聴く人それぞれにいろんな立ち現れ方するのは事実だ。好き勝手な印象受けて、好き勝手に楽しむのが正解かもしれない。